アネクドートもどき

講義で「北朝鮮ソマリア、どっちに行きたいか?」と聞かれた。


そのとき、以前、twitter で思いついたアネクドートもどきを思い出した。


これは、別に、私が北朝鮮好きだから、ではない(笑) もうちょっと、深い意味(アイロニー)がある。


中国に行けば、誰かに監視されることもなく、ひとまず自由に行動できるだろう。

しかし、自由である反面、カネを盗まれようと、食中毒になろうと、運悪く反日デモに出くわそうと、それは旅行する人間の運が悪かったということになる。


一方、北朝鮮に行けば、常に案内人*1がつき、自分の行きたいところに自由に行けるわけではない。


しかし、その反面、カネを盗まれることも、食中毒になることも、民衆に襲われることもない。なぜなら、北朝鮮にしてみれば、訪問者をもてなすことは重要な外貨稼ぎの手段だからだ。できるだけ、訪問者に気分良く旅行してもらい、外貨を落としていってもらわなければならない。だから、訪問者を(彼の国では)高級ホテルに泊め、(彼の国では)最高級の料理を食べさせるわけである。


そして、北朝鮮では、旅行する人間の身の安全も、大体、保障されている。*2いかに、「日帝」から来た訪問者であっても、貴重な外貨稼ぎの手段である訪問者を民衆に襲わせたりはしない。*3


もちろん、拘束されたり逮捕されることもあり得るだろう。しかし、案内人に「監視」されているということは、「保護」されているということでもある。訪問者が何か都合の悪いことをしたとしても、おそらく、その責任は「十分に監視していなかった」案内人に向かうだろう。


つまり、北朝鮮は、旅行者の行動を制限しようとして、案内人をつけるというコストを費やしているわけだが、皮肉にも、それは、旅行者の身の安全を最大限保障することになってしまっている。


ということで、私なら、中国旅行よりも北朝鮮旅行をオススメしたい(どちらの国にも行ったことないけれども)。


ちなみに、政治学的に言うと、このアネクドートもどきは、「自由」をとるか、「権力」をとるかということである。自由を求めるなら、権力は弱い方が良い。しかし、秩序を求めるなら、権力は強い方が良い。もし「自由」を最大限追求すればアナーキーになる(秩序が犠牲にされる)し、もし「権力」を最大限追求すれば、独裁国家になる(自由が犠牲にされる)。


今のは極論であったけれども、現実的に考えてみても、「権力」を完全に否定することはむつかしい。もし、生命の危機を感じることなく「自由」でありたいと願うならば、どうしても「権力」による保障を求めなければならないのだ。*4政府による「権力」を毛嫌いする新自由主義者も、政府の役割を必要最小限にすべきだとは唱えても、政府をまったく不要とまでは言っていない。


このように、「自由」と「権力」のバランスをどう取るかはとてもむつかしい問題なのである。

*1:という名の監視役

*2:ただし、ジャーナリストなどを除く

*3:そもそも、都合の良いところだけを見せるという都合上、民衆と接触させない

*4:ホッブズはそれを突き詰めて考えた結果、『リヴァイアサン』に行き着いたわけだが・・・